漫画と小説について、村上かつら作品について俺が語る
けーた氏へのコメントが長くなりそうなのであえて別トピにしてみる。まぁけーた氏なら多少俺が暴言はいても何とかなるだろう。ってことでまず一言言わせてもらおう。
「あのコメントをカウンセラーからされたら、俺が客ならヤブっていうぜ?」
一応警告。
漫画と小説について
コメントの中で小説と漫画を比較して、「分野」とか「ありがち」という言葉でくくられてしまったわけなんですが、漫画で扱ってるストーリーなんて基本的に小説と比較できないほどチープになるのは当然だと思うのは俺だけ?
漫画は文字だけの小説とは違って、文字、絵、コマ割りを駆使してストーリーを表現するので、表現は文字だけに比べて無駄に具現化しなくてはいけないものが多い。このことは両局面をもっていて、作家が具現化してくれた分読者が理解しやすくなるからメッセージ性が強くなる反面、読者に委ねられていた部分を作家の固定解釈で表現されることで、ストーリー内に存在する奥深しさなどが消えてしまう。だから漫画として表現されると文字ベースより対象読者が狭められて、その結果ストーリーがのぺっとしたものになる。
漫画の場合、ストーリーが王道だろうが異質だろうが、重要なのはあるストーリーやメッセージに対して作家がどういう視点で表現したかという構成作家的なもんじゃないかと思うんだけどねぇ。だから読者がどんぴしゃではまれば小説の一言よりもはるかに強い影響を与えられると思うんだけど。
村上かつら作品について
ラッキーが物足りないと思う理由を語る前に、俺がなぜ村上かつらの作品をおもしろいと感じていたのか?をあえて表現してみよう。チープな言葉しかでてこないような気もするけど。
一言で言えば、村上かつら作品は主人公がいない。正確にいうと形的にはいるけどそいつは別に重要でもなんでもない。でてくる登場人物一人一人もインパクトある人もいるけど、別に特定の登場人物に特別に共感したりもしない。そんな世界観。別の表現で言えば登場人物の記号化。だからでてくる登場人物一人一人がどうというよりは、各登場人物がもつ人間のえぐさとか弱さとかから発生する情感について若干誇張気味に淡々と見せ付けられる感じ。別にこういう表現方法って小説では割と王道的なパターンだから珍しくないと思うよ。おっしゃるとおり。でも、漫画ではほとんどないって言っていい。理由は簡単。この表現内容って漫画としては具現化しづらいから。
漫画は登場人物が存在する以上、そいつのキャラクタ性がどーしても具現化されてしまうから、小説よりはるかに抽象表現が厳しい。ましてや長編でこんな抽象表現を継続させるなんて、読者がちんぷんかんぷんになるか、作家が音を上げるのが先かって感じですよ。だから村上かつらの作品は短編の方がおもしろいって言われる。短編なら登場人物を使い捨てでいけるしね。キャラクタ性よりも情感を重視表現しやすい。
さゆり1号ではこの表現でよくあそこまで長編描こうとがんばったと思うけどね(これを守ろうとしたあげく、後半回想されたり、登場人物ころころ変えられたりしてきつくなってきてた)
で、本題に戻る。ラッキーが物足りない理由。
ラッキーって今までの作品と違って、主人公とか登場人物の役割がはっきりしすぎなんですよ。特にラッキーの存在があまりにはっきりしすぎている。記号になりきれてない。主人公ベースの表現は、読者主体というよりは客観視点になりやすいから、俺には世の中のありふれた一面だけを描写する幻想物語としか映し出されなくて物足りないし、心もざわつかない。
村上かつらは情感重視表現を漫画という土俵で表現できる数少ない人だと思ってたからな。絵描きとしてレベルはあがってるし、物書きとしてもレベルが上がったのかもしれないが、この人に期待していたものが薄らいだって感じ。これが物足りないっていう理由。まぁ物足りなさを感じる理由には、作品の変化より俺の変化が大きいのかもしれないけど。
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