俺とおやじ。

GWは実家に帰りました。悟りを開いてから初めての帰省です。


俺が言うとあいかわらず胡散臭いって言われるんだけど、悟りってのを開くと、今まで当たり前だと思っていたものが全部新鮮なものに見えてきます。周りの人のすごさとその人の思い込み、そして自分の偏見ってのがそれぞれ分割されてダイレクトに心に伝達されるようになります。だから悟りを開いたときにはまず、自分の今までの人生を全部洗いなおしました。そして一つ一つ自分の行動について見つめなおしました。そして自分も含めて一人一人の言動や行動が何を意味していたのか確認していくことにしました。


これをすると、いかに自分が我侭だったかってことに猛烈に反省すると同時に、自分の無知っぷりを自覚します。今回帰省することに決めた理由はここにあります。


うちの家って物心ついたときから親父はほとんど家におらんかったし、家族会議ってのもなかったし、規制もなければ会話も少ない自由な家でした。だから親父が俺に直接何かしてくれたことがあったかどうか思い出すことすらできません。俺が大学を卒業する頃には、なにやら会社をやめるだの言い出して、気孔をはじめたり細木数子はすごいとか言い出すもんだから、あまりにも行動が非現実過ぎて俺は耳を貸そうともしなかったし、好きなようにやれば?って感じでした。
俺が社会人になって帰省してからもこの状況は変わりませんでした。親父は俺が実家に帰るたびに、なにやら自伝を話したがるのですが、俺は特別親父に興味がなかったので話半分にしてました。


でも・・悟りを開いた後に自分のこの行動について再確認しなおしたところ、一つのことに気づきました。


「あれ?俺親父について結局のところ何もしらなくね?」


俺は親父が今まで何をしてきたのか知らない。それなのに俺は意味不明に親父に興味はないと突っぱねていた。それでも親父はしつこく俺に何かを話そうとしていた。だから俺はうっとおしい、めんどくさいと思っていた。


こう書くと一目瞭然。


どっちが世間知らずで非常識で冷徹な人間なんだと。



今回実家帰った一番の目的は、この親父とまともな会話をすること。
そして親父がどんな人間なのか知ること。そしたらでるわでるわ・・。


もう年金もらういい歳にも関わらず、小学生のバトミントン練習用の器具を何通りも改良して自作してたり、ブラジル人に日本語を教えていたり、介護施設での支援をしていたりと社会貢献してるだけでなく、自分の健康状態を知るためにつけていた血液成分グラフから化学や医学について猛烈に勉強する結果となり、そこからさらに高卒の親父が改めて大学入学までしていました。まさか親父の口から相対性理論について聞かされるとは思わなかったよ(笑)


会社時代の話も聞きました。


高卒だったが故に出世街道に限界があったこと、東大卒と渡り合ったこと、ずる賢いライバルがいてそいつに惨敗したこと、そしてそのライバルがうちの母さんを狙っていたことなどまあいろいろでてくること(笑)


俺はそんな親父の話をGW中ずっと聞かされていたわけなんですが、親父はどの作業についても一貫して定常化したぬるま湯を嫌い、自らの手で緻密にデータを収集・分析し、そして新しいことには積極的に顔を出し、トラブってるところへは自ら飛び込んでいったりしてるようでした。
赤の他人から見ればこういうのって、とっても積極的な生き方と言われるんでしょうが、本人はこれを荒行と呼ぶ。そして何よりこの話を聞いた俺も荒行だなと思った(笑)そしてこー思ったと同時に、俺にとっては今までよーわからんかったものについて一つの実感が沸いた。


「あー・・これが親子ってやつか」


俺は今日の今日までマジで親父と会話してねえから、親父から社会での生き方についてこれっぽっちも学んだ覚えはないんだけど、やってることや考えていることがあまりにも似ていたことは衝撃だった。
もちろんこういういいところだけじゃなく妙なところも俺と似ていますよ。
主に思い込みの激しさと疑り深いってところね!
暴走気味で飛躍した表現するところね!


そして「俺は悟りを開いている!」と思っているところね!(爆)


帰省して話してみてよかったわ。もうこれ以上親父と話す必要はないくらいの気持ちだーね。
その生き方してるなら俺が言うことなんてなんもない。どの道にも迷いはないはず。


俺は親父を認めた。
親父は俺に「お前はもう大丈夫だ」と言った。


俺の自立は親公認となった。今年のGWのこの成果はでかい。
また一つ前へ進んだ気がする。